小さな吐息が一定のリズムで繰り返される。
髪を極僅かに揺らす程度の風を少しだけ開いた窓が部屋へと侵入させる。
は掌の大きさの四倍以上は有る読み終えた古書を静かに閉じた。

(よく眠っているわ…)

柔らかい生地のスカートが覆い隠す膝の上には小さな子供の頭が乗っていた。
艶の有る褐色の肌。
見掛けは少女に見えるが、恐らく自分よりも長く生を紡んでいるであろうと思われるアーシェス・ネイ。
はずれたブランケットをそっと掛け直してやると、伏せた目に掛かる前髪をそっと横へと流してやった。

(…カル=スも来れば良いのに…)

閉じた儘の扉へと視線を移す。
美しい銀髪の少年は何度顔を合わせているには未だに心を開いてはくれない。
閉じた心を映すかの様に暗い青を湛えた瞳と合う事も無く、隣の書庫に入ったきり一度も出て来る事は無かった。


「うぅ…ん…」


ふと、膝の上の少女が身動ぐと眠たげに眼を掌で擦りながらゆっくりと起き上がる。
床に落ちたブランケットを取りながら、はネイに柔く笑み掛けた。


「おはよう、ネイ…よく眠れた?」
「うん…」


未だ焦点の合わないネイにクスクスと笑いながら、寝癖の付いた漆黒の髪を撫で梳かす。
気持ち良さそうに、目を細めるその様は愛らしい猫の様。


「……ダーシュが帰って来た!」


起きたネイは周囲の気配にはとても敏感だ。
四天王も集まるこの隠れ家の扉はまだ開けられてもいないのに、外のD・Sの気配を感じ取り嬉しそうに部屋を出て行った。


「カル…D・Sが帰って来たみたいよ」


コンコン、と閉まった儘の扉を軽く叩き話しかける。
静かな部屋からは返答の代わりに小さな足音が聞こえた。


「…ネイは迎えに行ったわ…一緒に行く?」


声は発さないものの、小さく頷くとの前を歩いていく。
白亜で作られたこの家に小気味良くのブーツの音が響く。
開けられた玄関の扉の先に、先に飛び出して行ったネイが"父"の肩に乗っている姿が見受けられた。

.
「…お帰りなさいませ、D・S…」

会釈の為に頭を下げると、その横をネイとカルを抱き抱えたD・Sが通る。
後ろに続いて四天王の一員、シシとギランも通ると漸くは頭を上げ残る一人に視線を向けた。

「…お帰りなさい、ガイン…」








予定よりも長く掛かった今回の遠征。
予想以上に手間が掛かった所為かD・Sは不機嫌極まり無かった。
が用意しておいた夕飯を無言の儘貪り食い、ネイとカルも無言の儘食事を終えた。

は三人が食べ終えた食器を全て片付け、其処を後にする。
四天王達は其々に食事を取るのが常識となっていた。

ガイン曰く"其処まで仲良しな連中じゃ無ぇしな"と言っていたのを思い出す。


「…か?入れ」


ガインと自分が使用している部屋の前迄来ると、ノックよりも早く室内から声が聞こえる。
扉を叩こうとした手を下ろすと、は静かに扉を開け室内へと入った。

「…っ…」

室内は甘い香りが充満していた。
ガインが太い瓶ごと飲んでいる酒の香り。
この男はこうして辛い酒ばかりを飲んでいるかと思えば、時に甘い果実酒を飲む事も有った。
余りの甘い匂いに密かに寄せた眉根を直ぐ様に戻すと、ガインの傍に近付く。
予想はしていたが、腕を引き寄せられると、愛玩道具の様に膝の上に座らせ尚も酒を煽るガイン。
頬の横に在る身体に埋め込まれた金属球が気になったは、顔の位置をずらした。

「ガイン…この傷は?」
「あぁ、大した事は無い。魔法が掠っただけだ」

ガインが傷を残した儘なのは珍しい。
どんなに鋭利な刃物で腕を切断されようが、至る所に埋め込まれた金属球の効果によって再生はされる。
しかし戦い方が戦い方なだけ有って、普段は傷を作ってくる事は殆ど無い。
は傷跡へと掌を翳した。


「…治癒呪文ヒーリング…」


すぅ、と傷跡が消えると、は翳していた手をガインの背へと回した。


「どうした?」
「ん…ちょっとね…」

甘える様に、筋肉が浮かぶ厚い胸板へと頬を擦り、瞼を伏せる。
酒瓶を置いた手がの顎を掴むと上へ向かせ、貪る様に唇へと噛み付かれる。

「ふ……ッ…」

ゴクリ、と。
口移しされた酒を飲み下し、口内で暴れ回る舌に自ら絡めさせる。

「んん…ッ…」

歯の裏、上顎、舌の裏と余す事無く貪ったガインは唇を離す。
二人の間に銀糸が微かに伸びると、切断する様に再度唇にのみ口付ける。

「…寂しかったのよ…」
「……へぇ…」

ポツリとが呟いた台詞に、ガインは驚いた様に鋭い光を宿す瞳を見開くと、直ぐに嗤う。


「珍しい…お前がそんな事言うなんて、な」
「…たまに、だけよ」

きっと真っ直ぐなネイの影響ね、とはネイの顔を思い浮かべる。
押し付けられる様に、抱き寄せられると熱を含んだガインの瞳と絡み合った。

「…他の事を考えてんじゃねぇ」
「…ふふ…擽ったいわ、ガイン」





─久々に味わう温もりと穏やかな時間。
ゆっくりと夜は更け、は愛しい相手の腕の中で眠りに付いた…─




fin.