──夢。
喜怒哀楽、過去未来──。
モノクロ、セピア、カラー。
此処まで様々な感情を、様々な色彩で映す事は人の手では絶対に成し得ぬ業。
目覚めた時に覚えているか、そうでないかは何を基準なのか理解はされていない。
しかし、悪い夢程決まって記憶に焼き付いている。
「っ…!」
布と布が擦れる音が立ち、ベッドのスプリングが鳴る。
勢い良く起き上がらせた身体にはじっとりと汗が滲み、呼吸が荒い。
「…どうした?」
戦う者の性であろう。
隣で寝ていたガインが掠れた声で問う。
些細な動きでも起きてしまう彼に気遣う様に、はううん、とだけ答えると動く度に煩く鳴るベッドから降りた。
「汗…ちょっと流してくるわ」
「…あぁ」
着ていた麻の夜着はぺったりと肌に貼り付き、なだらかな身体のラインがはっきり解る程だった。
ガインはから視線を外し、再度双眸を閉じた。
(…嫌な夢…)
一人では広過ぎる浴室に入ったはシャワーのコックを捻った。
熱い程の湯が、汗ばんだ肌に気持ち良く無造作に頭から被る。
(まさかガインが…ね…)
がこうなったのは正しく悪夢と呼ぶに相応しい。
見知らぬ土地、枯れ果てた大地で真っ赤な華を咲かせたガインと……傍で無表情に彼を見つめるD・Sの拾い子カル=ス。
カルの身体には至る所に返り血を受け、紅い染みが残る様。
は直ぐに解った。
愛しい相手を、寡黙な少年が討った事を。
「…ッ…」
頬に一筋。
頭から伝う湯でも何でもなく、瞳から零れた涙。
おぞましい光景に、身体は震え心が酷く泣いている。
─こんな姿、ガインには見せられない…。
彼の望みは知っている。
何故冷酷非道とも呼ばれるD・Sの四天王に加入したかも。
本音を言えばにはどうだって良い事だった。
何の"彩"も無い、無常な日々から掬い上げてくれた人。
最初は興味からだとしても、今は愛情を持って接してくれる人。
そんな彼に平和に生きて欲しいと願うのは愚かだと解っていても─。
「…」
「ッ…ガイン?」
閉められた扉の向こうから不意に聞こえた声。
はシャワーを止め、持ち込んだタオルで身体を覆うと扉を開ける。
「ガイン…」
扉の先に居たガインの瞳は鋭く、思わず畏怖してしまう程だった。
彼は常々、抑えられぬ感情が表情に出る。
しかし此処迄鋭い瞳をした彼は見た事は無かった。
言葉を無くしたに、ガインはその柔らかな身体を抱き寄せる。
「…来い」
「待って…拭いてから…っ」
髪の先から雫が滴り落ち、身体は至る所に水滴が残る。
お構い無しに横抱きにしたガインはベッドへとを下ろし、その隣に自らも座った。
「何の夢を見た?」
「えっ…?」
唐突な質問。
の心拍が上がり、指先が震え出す。
漸く絞り出せた声は余りにも弱々しいモノだった。
「…余り良く無い夢…だった筈…」
「覚えて無いのか?」
咄嗟に吐いて出た嘘。
ガインが眉根を寄せ、自分を見つめている。
無理が有った嘘だったか──そうが思った時だった。
「…。話しが有る」
「……な、に…?」
「今度、大規模な戦争を仕掛ける…この大陸では無い」
ズキン、との胸が痛む。
この人は…D・Sという男は、自らの欲望が手に届くと知れば休息を取らずにでも動く。
「マーン=シヘッド…船でも一月は掛かる」
「…また……また戦いに行くのね…」
「……」
は嫌いであった。
錆びた鉄の様な生臭い匂いを纏って帰ってくる、ガインが。
戦いに出る度に、無事を祈り帰って来れば嬉しさは覚える。
しかし、纏う匂いだけにはどうしても嫌悪を抱くだけ─…
「…お前は此処に残れ。…そして、此処から出て行け」
「ガイ…ン…?」
「この先何が起きるか解んねぇ。お前は…別の生き方を見つけろ」
「何を…」
「他の男を見つけ、ソイツと暮らせ。…それが一番良い方法だ」
次々と並べられるガインの科白に、の心が悲鳴を上げる。
「…ゃ…」
「……」
「…嫌!!…私は…っ、私は…」
喉で言葉が詰まる。
激情に押し出された言葉に身体が付いていかない。
呼吸の苦しさに、心の苦しさにただ涙が溢れるばかりで。
「…貴方の……傍に…」
「…」
涙で歪む視界に飛び込んだのは、ガインの表情。
今の今迄一度も見た事の無い、複雑な色を帯びていた。
「…貴方以外に……触れられる事なんて…愛する事なんて…っ」
──離れたくない。
その一言が一番に出なければならない筈なのに、出て来ない。
髪から滴る雫が、剥き出しの肌に冷たく、零れる涙は温かい。
「…………俺を待っていられるのか?」
「……付いて行く、と言ったら…?」
「其れは無理だ。戦えもしないお前を…どうやって連れて行く?」
戦いの基礎すら備わっていない。
熾烈を極めるで有ろう、未知の土地でも戦では真っ先に終焉を迎えるのは目に見えている。
確かに彼女の回復呪文は、その辺りに居る僧侶よりも目を見張るモノが有る。
しかし、そんな彼女を守りながら居る事は、今のガインには欲を出し過ぎていた。
──そんな真似、出来る訳が無い。
そうガインが自嘲めいて思った時。
「……貴方を待つ事には慣れたわ…」
ポツリと呟かれたの言葉。
ガインは知らずの内に詰まっていた息を静かに吐き出すと、を抱き締めた。
「…なら、もう一度待っていろ」
「…約束……してくれる?必ず…戻って来ると」
の脳内に、悪夢が掠める。
どうか、現実の物にならないで欲しい、と。
「……あぁ」
静かに交わされた口付けに、祈りを込めて。
は唯、思う事は一つ。
─無事に帰って来てくれるならば…─
fin.