「…夜光の砕片を発動…?」 「あぁ…ドクターシドの実験だ」 「…でも、神授の破魔石である其れの力は…」 前バレンディア暦七百四年。 帝都アルケイディスに佇む政庁の中の一室。 灯り一つも点さず、月夜の微光のみが入り込むジャッジマスター・ゼクトの執務室。 互いに兜の下で繰り交わされる台詞は重い鉄にくぐもった声ではっきりと二人の感情を表す事無く。 …けれど。 の声は、長くを共にした者なら解る程その響きに焦りと不安…怒りを含んでいた。 「私は反対です、ジャッジ・ゼクト。そんなモノ…あの方の狂気で行われる実験に貴方を…っ」 「…それ以上は慎んだ方が良い、。誰が聞いてるか解ったモノでは無い」 「……しかし…」 「…大丈夫だろう。そんなに心配される程、弱くなった覚えは無いがな?」 窓の外に向けていた顔をの方へと向け、軽く首を傾け、ん?と問いかけるゼクトの表情は相変わらず鉄の仮面によって隠されている。 こんな時には都合の悪いモノだな…とは思う。 . 「……、一つだけ頼みが有る」 「…何でしょうか?」 「今だけで良い…その兜を取ってはくれまいか?」 「……御意」 兜の下のの表情はきっと呆気に取られた様な顔をしているだろう。 そう内心思うゼクトは、五歩分程自分の後ろに立つが兜を脱ぎ終わるのを待つ。 ガシャ、と兜と篭手がぶつかる無機質な音を響かせ、 小脇に兜を下ろすと同時に光の下では美しい淡いパープルの長い髪がパサ、と乾いた音を立て重力に従い落ちる。 微かに揺らめく光を湛えた瞳が際立つその顔は直に成人を迎えると言っても十代らしく、未だ幼さを残す影を見え隠れさせる。 「…何故、ですか?」 「何故とは?」 「コレを脱いだ理由です。…私には理解し兼ねますが…?」 「……理由、か」 フ…と微かな笑いが兜の下から響き、再度自分からでは無い、 無機質な音を聞くと自然と眉根が寄るのをは自覚しながらも背を向けたゼクトへ視線を留める。 「…見たいと思った、…それが理由だ」 「は……?」 「…ジャッジにしておくには勿体無い位だ」 「…あの…?」 言葉の脈絡が掴めないゼクトから発せられる台詞には唯困惑し、 ジャッジという勤めから来る厳しさ湛える表情を忘れきょとんとした表情を浮かべる。 「…互いに、ジャッジという立場では無く……もっと自由な立場で出会いたかったな」 その言葉に含まれる意味。 相当鈍くなければ気付くその告白とも言える言葉には目を伏せる。 「…その様な私情…我々の任務を疎かにするだけです」 片腕として存在する自分にその様な…。 は己に確かに有る答えたい気持ちを押し止め、厳しく言い放つ。 「…用件はそれだけでしょうか?」 「…夜が明ける前に発つ。それ迄休むと良い」 「解りました……失礼します」 小脇に抱えていた兜を被り直し、未だ背を向けた相手にアルケイディア式の敬礼をすると、 ガシャガシャと静かな部屋には煩い、鎧の節々が鳴る音を立て扉へと向かう。 「……ジャッジ・ゼクト」 「…何だ?」 「貴方もお休み下さい…起きた儘では支障が出ます」 「あぁ…」 「…では…」 部屋を出る際に向けた視線の先に。 珍しく兜を脱いだゼクトの瞳は迷い、不安を象徴する様な弱い光を湛えていたのをは見逃さなかった。 「では留守は頼んだぞ」 「御意。…お気を付けて」 未だ太陽が姿を現していない頃。 漆黒から薄灰へのグラデーションを彩る空に重厚な飛空挺。 慣れている筈のエンジンの音がやけに耳に付き、の焦燥感を煽る。 飛び立った己の上司が乗る飛空挺を、その姿が見えなくなる迄は空を見続けた。 ──数日経ち。 政庁内が慌しくジャッジ達が行き交う。 アルケイディア軍がナルビナ城塞を制圧し……ナブディスが謎の爆発によって消滅した、と。 同時にジャッジ・ゼクトも帝都へ帰還する前に行方不明となり、第十三局を中心に混乱が広がる。 「…ジャッジ・ゼクト…」 もう主が戻らないゼクトの執務室。 は混乱の喧騒を避ける様に、一人此処へと足を伸ばした。 ゼクトが姿を消した理由も、謎と言われる爆発の理由も全て。 しれが密命だったという事を言葉少なからずでも悟っていたは、 他局のジャッジマスター達に何か知らないか?と問われても答える事はしなかった。 自分の力不足…という名目で知らない振りを通した。 勿論、情報を扱うガブラスには再三問われ、言ってしまえば少しは楽になるのでは…と思った事も有る。 しかし、あの夜にみたゼクトの表情をは鮮明に覚えていた。 「…貴方のその迷い……………?」 答える相手等居ないこの部屋で呟かれた言葉の語尾は消え入り、廊下から響く鎧の音は変わらぬ事実をに叩き付ける。 兜の下で零れる涙は無情な鉄を微かに濡らす。 己の力不足。 ”任務”という言葉に遮った言葉に、自分も同行すれば良かったのでは無いかと。 今迄に味わった事の無い後悔が溢れ、の意思を一つへと導く。 ─その夜。 軍議にて行われた、ゼクトが指揮を執っていた第八艦隊─ リヴァイアサンの指揮はジャッジ・ギースが引き継ぐ、という決定により政庁内も漸く落ち着きを取り戻した。 今迄と変わらぬ静かな時間が訪れる。 「…私は貴方以外の元に就く気は有りません…」 再び立ち寄った主が居ない部屋。 兜を机の上に静かに置きながらは呟く。 その後の決定で、は第八艦隊の副艦長として、ジャッジ・ギースの片腕としての役割を任命された。 しかし、後悔という言葉はその命をも上回り、これ以上の任務を遂行する事は出来ないと。 心が、体が悲鳴を上げる。 「……御互い自由な身で…」 ガシャ、と幾度も繰り返される金属音と共に外される鎧。 其れ等全てを脱ぎ終えると、机の上に綺麗に整え置く。 …それは、ジャッジという任務から去る事を意味する。 最後に愛用していた双剣を腰に下げると、テラスへと出る窓を少し開け身を乗り出す。 幸いにもそう高くない位置に有るこの執務室。 飛び降りても死を迎える事も怪我をする事も無い。 警備の目が届いていない事を確認すると、地面へと向かって飛び降りる。 サク、と音を立てる芝生を走り、敷地内から何事も無く出る。 漸く、大分離れた場所で王宮殿を背後に構える政庁を振り返る。 もう戻る事は無いと。 自分の居る理由は存在しないと。 そう強く思ったは静かな市街へと姿を消した─。 end of prologue.