今宵も咲き乱れる桜の花。
狂った様に咲くその一輪一輪に、失われた命が宿るのだと──そう遠い昔に聞いた覚えが有る。
春の訪れを告げる頃に咲くこの花には妖も潜むという。



は独り、佇んでいた。
見上げれば首を傾げた桜の枝が己に向かっている様に垂れ下がっている。
太い木の幹に掌を当てれば、樹の声が聴こえる。


─カナシイ……サビシイ…─


自然の声を聴き取れる事はの一族のみが出来る業。
他の者は妖精を媒介するが、は直接聴く事が出来る。


─…ダレモ…………─


桜が泣く事を止めた。
が幾ら耳を澄ましても、悲しげな声は聴こえなかった。


「…桜が泣いていたの」


山奥にひっそりと建てられた建物には、自らの力の強大さを嘆いたシシと彼を慕う闘士達のみが住んでいる。
皆、口数は少ない者達。
その中でもは一番口を開く回数が多いと言えるであろう。

部屋に戻ったにシシは無言の儘、眉根を常よりも寄せ見つめた。
の言葉に更に寄せられた眉根には、当の本人も気付かなかったが。


「…ずっと声が聴こえるの」


ベッド脇に腰を下ろしていたシシの鍛え上げられ太い腿の上には座った。
厚い胸板へ顔を擦り寄せれば、無骨な掌からは想像出来ぬ程に優しく、の長い髪に触れられる。


「…悲しいのね…皆…」


すぅ、とが小さな呼吸をし瞼を伏せる。
直ぐに規則正しく繰り返される呼吸に、シシは部屋の照明を消した─…








─サビシイノ…─

(…何で寂しいの…?)

─ダレモ…─

(…誰も…?)

─ワタシヲミテクレナイ…─

(貴方を…?)

─クルシイ……─


─オマエヲ…カテニ…!!─



「…ッ!!」


意識が急激に覚醒する。
勢い良く起き上がったその上半身には汗が滲んでいた。
額に前髪が張り付いている。


「…ゆ…め…」

荒く繰り返された呼吸を整え、はベッドから這い出た。
隣に在った筈の温もりは既に離れて時間も経っているのであろう、シーツには己の体温だけが残されていた。


「……?」


静かに戻ってきたシシは、の様子を見て訝しげな表情を浮かべる。
は迷わずシシに抱き付くと、夢と現が定まらぬ思考を正常に戻す様に温もりを求めた。


「……どうした…?」


の身体を抱き止めながら低いシシの声が問い掛ける。
シシの声を聴いたのは久方振りだった。
は己より遥かに高い位置に有るシシの顔を見上げた。


「夢を見たの……」


は未だにはっきりと覚えている夢の内容を告げた。
其れを聴いたシシは暫し考え込むと、に外出用の衣服を手渡し部屋の外へと出て行った。


(…来いって事…)


は洗濯された衣服に着替え、シシを追った。
外で待っていたシシの後を付いていき山を登れば、昨日声を聴いた桜の前で足が止まった。


「シシ…?」


声を聞け、と言う様に視線で会話をされる。
は右手を幹へと当て集中すると、桜の声を聴き始めた。

─ナ、ニ…?─

「…貴女はどうしてそんなに悲しんでいるの…?」

─ダレモ…ワタシヲミニキテクレナイ…─

「…誰かに見て欲しいのね…」

─ソウ…デモ…─

「…でも…?」


刹那、と桜を包む空気が冷たくなる。
後ろでの様子を見守っていたシシも悪しき気を感じ、纏う空気が一変した。

─ワタシニハ…アヤカシガ………ニゲ……─

桜の声が薄れた瞬間に、樹の下から幾多の手が土から這い出る。
指先は骨が見え、所々腐食している手はの足を掴み、土の中へと引きずり込もうとする。


「イヤ…っ…!」

足掻けば足掻く程、足を掴む力が強まり、身動きが取れなくなる。
不意に、背後から力強い腕に抱き支えられると、もう一本の腕から放たれる光は地面へと向かう。

「シシ……っ」

シシが拳に纏う金色の気の眩しさに目を瞑ると、大きな地響きが鳴った。
低い唸り声が聴こえたかと思えば、其れは急に鳴り止みやがて静寂が戻る。
が瞼を開いた時には、地から這い出た手は一切消えて目の前には桜だけが在った。

─アリガトウ…─

己を抱き支えるシシがピクリと動く。
彼の顔を見上げれば、にしか解らなかったが、表情が少々驚いた物になっていた。
きっとシシにも桜の声が聴こえたのであろう。

─コレデ…ワタシデイラレル…─


「えぇ…来年はもっと、綺麗に咲けるわ…」


ひゅう、と風が鳴くと、其れに乗り薄紅色の花弁が舞う。
美しいその景色に、シシは目を細め見入り、は自然と笑みが零れていた。


「私達が見に来るから…だから…」

─マッテイルワ…─


桜の声が聴こえなくなると、風に舞う花弁の数が増える。
散り様に見惚れていると、シシがから腕を放し、桜の木の元へ腰を下ろし寄り掛かる。
もシシの足の間へと腰を下ろすと、目の前を舞う花弁へと視線を向けた。


「…綺麗ね」


桜に言ったのか、シシに言ったのか解らぬ言葉。
それはのみぞが知る。
はクスリと小さく笑いを零すと、『有難う』と言いシシの頬へと口付けを贈った。



─孤独な桜には妖が潜むと言う。
しかし、其れを祓えばより一層美しい姿になるであろう─


「…あぁ…」


遅くして返されたシシの声。
其れには微笑を浮かべた─…




fin.